半端日記

何にもなれなかった中途半端の記録

引きこもりとCOVID-19

社会人になってしまった

はじめに

この記事は、Kumano dorm. Advent Calendar 2020の12日目の記事です。

社会人になる少し前に起こったこと

本節は、本題に至るまでの前日譚みたいなものです。本題を読みたい方は、次節を読んでください。

去年、私は修士論文を書いて大学院を修了した。修士論文との格闘、修士課程で大学院を終えることについて、去年のアドベントカレンダー

pineplaaaain.hatenablog.com

に書かせてもらったので興味があったらそちらも読んで欲しい。ちなみに今回の本筋とは多分そんなに関係ないと思う。

あれから、私は理学部の後輩や同期を巻き込みながら、そして研究室のメンバーの皆様のかなり暖かな支援によって(皮肉とかではなく本当の本当にお世話になった。今でも感謝に耐えない)、無事に修士論文を書いた。そして、その頃、世間ではのちに大騒動になる一つの火種が燻り始めていた。

COVID-19、今では新型コロナと呼ばれるアレが話題になり始めていたのだ。

修士論文提出まで

2月1日、ダイヤモンドプリンセス号関連で感染者がいたことが明らかになり、その直後に横浜でダイヤモンドプリンセス号は検疫体制に入った。修士論文の提出締め切りの3日ほど前のことである。 その当時、国内感染事例はなく、空港や港での水際作戦がとられており、中国から人来るな的な雰囲気になりつつあった。そして「まだ国内にいないから大丈夫だろう」みたいな雰囲気があった。研究室でも「そんなことないと思うけど、万一感染したら研究室に来られなくなるから気をつけてね」といった話がされていた気がする。ともかく、とりあえず海外からやばそうな病気が来る、かかったら肺炎やばそう、みたいな話で、まだ結構他人事だった。

そんなこんなで、修論は完成し、無事に提出することができた。卒修論提出日のどこか和気藹々とした研究室の空気は実は結構好きだったりする。

修士論文提出後

さて、修士論文も出せた。翌週にはおそらく合格だろうということが告げられ、修了がほぼ確定した。そんな中、新型コロナウイルスは順調に世間に浸透していった。ちょうど国内で初の死者が出たのがこの頃で、さらにヒト-ヒトで感染することも確認され「感染が国内に蔓延し始めている」ことへの危機感が募って行った。まだ飲み会は普通にできた(研究室の追いコンその他諸々)。Nintendo Switchは工場が停止したせいで、また品薄になっていた。

ここからは結構色々と方針が出ては変わってだったので詳しくは覚えていないけど、2月下旬には海外の渡航や大規模なイベントはほぼできなくなった。大学でも、サークルの追いコンや卒業イベント、合宿が相次いで中止になっていた。後輩数人が暇を持て余し始めたのを覚えている。

そして、海外からの観光客が入国することがなくなり、京都から人が消えた。

自分の身に起こったこと

個人的にはコロナの影響で言えば、せいぜい予定していた海外旅行や卒業旅行が中止になったくらいだ。追いコンライブも(大々的に宣伝できなかったものの)実施できたし、引っ越しも問題なく行えた。部屋の片付けが遅れて迷惑をかけた後輩、引っ越しを手伝うためはるばる東京から応援に来てくれた友人、本当にありがとう。

こうして私は、大学を離れ社会人になった。

社会人になった

もうちょっと経緯を話すので、気になる人は次節へ。

入社まで

ひとまず実家に拠点を移し、自分がしばらく住む環境づくりを始めた。3月下旬のことである。この頃には営業期間短縮、マスクの品薄、不要な外出自粛用でなどが徹底され、おそらく最も厳しかった時期かもしれない。入社予定の弊社からも、色々と混乱していることが窺える指示が飛んできた(在宅予定になったり変更になったり)。

おおよそ部屋の片付けと寝床の整備が終わった直後(結構いいマットレスを買ってテンション上がっていた)、会社から最終的な決定事項が言い渡された。「家が遠い人はオフィス近くのビジネスホテルで18連泊してもらいます」。

...........まじ?

ビジネスホテルで始まった引きこもり生活

特に書くことがない。六本木にいるのに、どこも店やっていないから何もすることない。コンビニ飯で食い繋ぐのは栄養的に怪しいので、やよい軒日高屋さんに通って生き延びていた。ホテルの部屋から出てもそこにはゴーストタウンと化した街並みがあるのみなので、ひたすらYouTubeを見る、マンガアプリで漫画を読む、JavaScriptの勉強をする、くらいしかやることがなかった。オンライン飲み会してくれた寮の同期や元バイト先などには感謝しかない。

おうちに戻った

18連泊ののち、家で在宅勤務が始まった。緊急事態宣言下なので、日中仕事して夜はベースを弾くとかゲームするとか、そういう生活になった。もちろん、家からはほぼ一歩も出ない。これが実家での引きこもり生活の始まりだった。

本論

本題です。結果として、コロナのせいで家から出ることなく社会人になりました。梅雨頃にオフィスに行き始めましたが、それでもオフィス以外には行かずにほとんど外出していません。この辺でふとある疑念が頭をよぎりました。

「コロナのせいで外出できないのではなく、外出しない自分の習性をコロナという大義名分で正当化しているだけなのではないか」

生き方を見失う

私が引きこもり気質なのは結構色んな人が認めるところだと思う。それはそうとして、コロナのせいで外出が制限されおうち時間を謳歌していた結果、社会人ってプライベートに何をすればいいのかわからなくなっていた。遊びに誘ったり、誘われたり、そもそも誘っていい物なのか、全然わからない。有給をほとんど取っていないが、それも取ったところで何をしたらいいのかわからないためだ。たった一度、誕生日休暇の振替で取得した休みの日は、病院と銀行の手続きをするためだった。

社会人とは、特定の目的を強いられて、日々という時間を目的に割く生き物だと思っているから、多分これはまだマシな方だと思っていて、体験したわけじゃないけど(体験したくもないけど)この状況下で真に辛いのは行動の自由度が高い学生だと思う。自分でやること探して行動していくのが大学生だと思っているので、人生の見失い度は尋常じゃなく高そうだなと。

まとめ

本当はもう少し書きたいことがあって、色々と練っていたんですが、そっちがまとまらないのでざっと書いたこの段階(12日17時)でまとめに入ります。尻切れトンボでごめんなさい。

この記事を書いて、本当はコロナ禍で引きこもりがどうなるか、大義名分を得てそれで幸せになったのか考えたかったのだけれど、ここに来て結論がわからなくなりました。その要因に、Twitterで観測した寮祭に関する一連のトラブルがあります。私の認識だと、結構大きな分断を産んだように感じていて、その原因は何かと思えばコロナ禍で自由にできないことのストレス、そもそも流行病というものに対する不安、周りを見る余裕の喪失などがあるのではないかと勝手に思っています。今までは、小規模に対立や揉めていながらでもそれなりにうまく回っていたのは各人がきちんと行動を選択できていて、多少なりとも逃げ道や居場所に余裕があったためではないか、みたいな。

個人的には寮で遊ぶのはとても楽しいです。同時に、住居としての寮を必要としていた自分にとって寮という空間が生活に適さなくなってしまうのはそもそも本末が転倒しているだけではないのかと思っています。このまま対立が先鋭化しても、おそらく誰も幸せにはなりません。自分のやりたいことは、必ずしも他人を幸せにしないもんね。

だから、難しいとは思うけど、楽しく遊ぶために不快に感じる寮生や住人のことを一度きちんと思いやってください。反発して煽って対立するのは、全然かしこい方法ではないと思います。

修士論文中間発表当日リアルタイムお気持ち実況

はじめに

この記事は 熊野寮のアドベントカレンダー の25日目の記事です。

前日の記事は こちら

絶賛飲酒済みなので文章がめちゃくちゃなのは多めに見てください。本当は中間発表が26日のつもりだったのでしんどい中で前日のお気持ちを実況するつもりでしたが、今日発表が終わったのでその後の忘年会で飲酒しすでに割と酔っています。予定外。

背景

切羽詰まっている

この記事は本質的に執筆がギリギリになることが運命づけられている。どういうことかというと、「リアルタイムお気持ち実況」と銘打ったからには当日の心境を書かなきゃいけないわけだけど、実際修論中間発表の当日ないし前日は忙しいに決まっているからだ。実際、今も忙しい。

内輪事情の共有

今日、12月25日に修士論文の中間発表が終わった。もともとうちの専攻ではだいたい20日ごろに中間発表があるのだけれど、今年はよりにもよって24日に機材テスト、25日の当日というスケジュールだった。さらにまた内輪の話だが、うちの研究室では中間発表の当日に(M2以外で)大掃除と忘年会の準備を行う。今年はクリスマスなので「チキン食べたい(ターキーなんて無理は言わないから)」と先輩にわがままを言ったところなぜかもこみちの動画 を参考に丸鶏を焼くことになってさっきまで食べてた(21:30現在)。美味しい。

中間発表について

中間発表というもの、というか修士論文そのものについて思うところを書きたい。修士課程というのは私の感覚では研究者の入り口で、要するにその最初の資格認定が修士論文ということになる。どういうことかというと「未熟なりに自分で研究して世に出せる成果を生んで研究者として認めてもらう」ということで、これがなかなかにしんどい。1ともかく、自分なりに研究した事実を論文にまとめて2月に提出する、その方向性がいいかどうかを現時点での成果発表で評価してもらうのが中間発表という儀式になる。

本当なら修士の2年間で全力に研究に打ち込んで、こまめに論文を出していれば中間発表も修士論文もある種の「過程」に過ぎず、むしろ提出期限とかで変なミスをしないかどうかが問題になるレベルだろう。しかし、私はそうではなかった。以下はそんな私のお気持ちである。

本題

ここ数日のメモをもとにお気持ちを振り返ります。

中間発表前

~10月

研究テーマの詰めが終わらない。漠然と考えていたことが実は全然見当違いで、なんでこんな単純なことにもっと早く気づけないのかと自分が嫌になる。こういうとき、本当に自分の研究適性のなさを自覚する。修論の具体的な内容が決まらないまま少しずつ肌寒くなっていく。何度か鴨川への身投げを検討する。

11月

指導教員やD3の先輩との議論を経て、とりあえずのテーマを決める。11月の間は関連する論文やモデルの構築、具体的な計算などおそらく一番研究者っぽいことをしている気になる。やることが多くて睡眠が確保できず、死にそうになる。月末のゼミで一旦の区切りをつけることに成功する。

12月

中間発表のスライドを作り始めるも、寮祭に邪魔される。発表練習までに準備が難航し、結構メンタルが崩壊する。見やすくてわかりやすいスライドを作るのってセンスだなって思う。結局、2回くらい派手にボツをいただきながらなんだかんだ完成させる。

そして今日

まず私は人前に出るのが嫌いである。物性若手夏の学校に参加した人は知っているかもしれないけど、本当に人前で話すのが嫌で、司会をやる数時間前から地下室に引きこもっているくらいには嫌い。なのにフルボッコにされるとわかっている発表で30分ほど人間の前で耐えないといけない。本当に朝から憂鬱。 自分の2つ前の発表の人が質疑応答で炎上する。さらに憂鬱になる。

自分の番になり、機材の準備をしながら帰りたい以外の感情を失う。マイクに声が通ったり通らなかったりしながら、15分しゃべる。1分余ったけど、司会の先生が親切にも鈴を鳴らしてくれる。質疑応答は半分くらい何言ってるかわからん。答えても相手は首を傾げるけど、正直首を傾げたいのはこちらだと言いたくなる。

終わる。終わってみれば何のことはない、優秀な同期の発表を聞きながら忘年会と丸鶏の丸焼きに思いを馳せる。

終わりに

22:32現在、忘年会でそれなりにアルコールを摂取したため地味にグロッキーである。しかし、今日のアドベントカレンダー担当としてこれを書き上げなければならない。つらい。最後に研究って何だろうって思ったことをまとめてこのブログの終わりとし、さっさと寮に帰ることにする。

なぜ敗北したか

修士課程で終わる者は基本的に敗北者である。2 これは寮の同期ともよく話したけど、学部で終わって社会生活を営む決心や計画性もなく、博士課程でやっていくだけの能力も意欲もない、そんな人の集まりが「修士」なのではないかと思う。3 少なくとも私は紛れもなく負けた。研究を続けることができなかった。

これを読む人にどれだけ届くかわからないけど、大学院に行くなら博士課程に行く覚悟で進んだほうがいい。2年でできることなんて本当にたかが知れているし、そんな曖昧な気持ちで研究に片足突っ込んでも精神的にしんどい思いをするだけだと思う。もちろん、一度社会に出てから覚悟ができた後に戻ってきてもいい。昨日話した寮のM先輩は最近の論文やディスカッションの内容をそれはそれは嬉々として語っていた。何言っているのか滑舌の点でも内容の面でもほとんどわからなかったけど、すごく楽しそうだった、近々D進するために帰ってくるらしい。大学院に行くならこれだけの研究愛がないとダメなのだな、と思った。

最後に暗い話になってごめんなさい。もちろん楽しいこともたくさんあります。ここまで読んでくださったみなさんの進路に幸あれ。


  1. というかこれをしんどいと思っているようでは研究者に向いていないのではないかと思う。

  2. もちろん、企業で研究を続けるなどしている場合は勝者である。ここではM2で研究そのものを終えたもののことをいう。

  3. 異論はあっていいと思う。というかこれが真実を言っているとしたら残酷すぎる。絶賛異論募集中。