半端日記

何にもなれなかった中途半端の記録

修士論文中間発表当日リアルタイムお気持ち実況

はじめに

この記事は 熊野寮のアドベントカレンダー の25日目の記事です。

前日の記事は こちら

絶賛飲酒済みなので文章がめちゃくちゃなのは多めに見てください。本当は中間発表が26日のつもりだったのでしんどい中で前日のお気持ちを実況するつもりでしたが、今日発表が終わったのでその後の忘年会で飲酒しすでに割と酔っています。予定外。

背景

切羽詰まっている

この記事は本質的に執筆がギリギリになることが運命づけられている。どういうことかというと、「リアルタイムお気持ち実況」と銘打ったからには当日の心境を書かなきゃいけないわけだけど、実際修論中間発表の当日ないし前日は忙しいに決まっているからだ。実際、今も忙しい。

内輪事情の共有

今日、12月25日に修士論文の中間発表が終わった。もともとうちの専攻ではだいたい20日ごろに中間発表があるのだけれど、今年はよりにもよって24日に機材テスト、25日の当日というスケジュールだった。さらにまた内輪の話だが、うちの研究室では中間発表の当日に(M2以外で)大掃除と忘年会の準備を行う。今年はクリスマスなので「チキン食べたい(ターキーなんて無理は言わないから)」と先輩にわがままを言ったところなぜかもこみちの動画 を参考に丸鶏を焼くことになってさっきまで食べてた(21:30現在)。美味しい。

中間発表について

中間発表というもの、というか修士論文そのものについて思うところを書きたい。修士課程というのは私の感覚では研究者の入り口で、要するにその最初の資格認定が修士論文ということになる。どういうことかというと「未熟なりに自分で研究して世に出せる成果を生んで研究者として認めてもらう」ということで、これがなかなかにしんどい。1ともかく、自分なりに研究した事実を論文にまとめて2月に提出する、その方向性がいいかどうかを現時点での成果発表で評価してもらうのが中間発表という儀式になる。

本当なら修士の2年間で全力に研究に打ち込んで、こまめに論文を出していれば中間発表も修士論文もある種の「過程」に過ぎず、むしろ提出期限とかで変なミスをしないかどうかが問題になるレベルだろう。しかし、私はそうではなかった。以下はそんな私のお気持ちである。

本題

ここ数日のメモをもとにお気持ちを振り返ります。

中間発表前

~10月

研究テーマの詰めが終わらない。漠然と考えていたことが実は全然見当違いで、なんでこんな単純なことにもっと早く気づけないのかと自分が嫌になる。こういうとき、本当に自分の研究適性のなさを自覚する。修論の具体的な内容が決まらないまま少しずつ肌寒くなっていく。何度か鴨川への身投げを検討する。

11月

指導教員やD3の先輩との議論を経て、とりあえずのテーマを決める。11月の間は関連する論文やモデルの構築、具体的な計算などおそらく一番研究者っぽいことをしている気になる。やることが多くて睡眠が確保できず、死にそうになる。月末のゼミで一旦の区切りをつけることに成功する。

12月

中間発表のスライドを作り始めるも、寮祭に邪魔される。発表練習までに準備が難航し、結構メンタルが崩壊する。見やすくてわかりやすいスライドを作るのってセンスだなって思う。結局、2回くらい派手にボツをいただきながらなんだかんだ完成させる。

そして今日

まず私は人前に出るのが嫌いである。物性若手夏の学校に参加した人は知っているかもしれないけど、本当に人前で話すのが嫌で、司会をやる数時間前から地下室に引きこもっているくらいには嫌い。なのにフルボッコにされるとわかっている発表で30分ほど人間の前で耐えないといけない。本当に朝から憂鬱。 自分の2つ前の発表の人が質疑応答で炎上する。さらに憂鬱になる。

自分の番になり、機材の準備をしながら帰りたい以外の感情を失う。マイクに声が通ったり通らなかったりしながら、15分しゃべる。1分余ったけど、司会の先生が親切にも鈴を鳴らしてくれる。質疑応答は半分くらい何言ってるかわからん。答えても相手は首を傾げるけど、正直首を傾げたいのはこちらだと言いたくなる。

終わる。終わってみれば何のことはない、優秀な同期の発表を聞きながら忘年会と丸鶏の丸焼きに思いを馳せる。

終わりに

22:32現在、忘年会でそれなりにアルコールを摂取したため地味にグロッキーである。しかし、今日のアドベントカレンダー担当としてこれを書き上げなければならない。つらい。最後に研究って何だろうって思ったことをまとめてこのブログの終わりとし、さっさと寮に帰ることにする。

なぜ敗北したか

修士課程で終わる者は基本的に敗北者である。2 これは寮の同期ともよく話したけど、学部で終わって社会生活を営む決心や計画性もなく、博士課程でやっていくだけの能力も意欲もない、そんな人の集まりが「修士」なのではないかと思う。3 少なくとも私は紛れもなく負けた。研究を続けることができなかった。

これを読む人にどれだけ届くかわからないけど、大学院に行くなら博士課程に行く覚悟で進んだほうがいい。2年でできることなんて本当にたかが知れているし、そんな曖昧な気持ちで研究に片足突っ込んでも精神的にしんどい思いをするだけだと思う。もちろん、一度社会に出てから覚悟ができた後に戻ってきてもいい。昨日話した寮のM先輩は最近の論文やディスカッションの内容をそれはそれは嬉々として語っていた。何言っているのか滑舌の点でも内容の面でもほとんどわからなかったけど、すごく楽しそうだった、近々D進するために帰ってくるらしい。大学院に行くならこれだけの研究愛がないとダメなのだな、と思った。

最後に暗い話になってごめんなさい。もちろん楽しいこともたくさんあります。ここまで読んでくださったみなさんの進路に幸あれ。


  1. というかこれをしんどいと思っているようでは研究者に向いていないのではないかと思う。

  2. もちろん、企業で研究を続けるなどしている場合は勝者である。ここではM2で研究そのものを終えたもののことをいう。

  3. 異論はあっていいと思う。というかこれが真実を言っているとしたら残酷すぎる。絶賛異論募集中。